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旧広島市民球場の歴史と未来を守る会

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「愛」と「冷酷」の溝。

今回の「旧広島市民球場問題」が、なぜこうもこんがらがってしまったのでしょうか。
それは広島市民の同球場に対する「愛」と、広島市が解体を強行しようとする冷酷さのギャップにあるといってもいいのではないでしょうか。

その象徴的な出来事が“銘板はがし事件”でしょう。
ここに広島市の今回の問題に対する姿勢がはっきりとあらわれているとおもいます。

そのことを書いた記事がありますので、ここに紹介しておきます。

以下「断崖カープ主義」(文工舎刊)より。
「愛」と「冷酷」の溝。_b0207942_179119.jpg


名前を売ったり、はいだり、…暴走は止まらない

平和台球場にはじまり、ナゴヤ球場、大阪球場、西宮球場、日生球場、川崎球場…。
お役御免となって解体されたり、改修されたりした球場をいくつも見送ってきたが、これほど悲惨で哀れな末路をたどろうとしている球場をみたことがない。
いうまでもない、広島市民球場のことだ。

わが国プロ野球史上例のない「市民球場」として、同球場は半世紀の長きにわたって広島市民に親しまれ、カープファンに愛されてきた。いや、全国のおおくの野球ファンに「ヒロシマ」という地名とともに慕われてきた。
そういう意味では、日本プロ野球史上例のない存在でもあった。

その歴史が「愛」に満ちていたがゆえに、いま「愛」のない行政によってほんろうされている市民球場のありようが情けなく、また哀れでしかたがない。

広島市がきちんとした手続きを踏まず半端なプランを強引に進めようとした結果、いま市民球場の跡地問題は迷走している。
そのあおりをうけて、市民球場はズタズタだ。

先日、いわれもなく「旧」をつけられて「旧広島市民球場」にされたとおもったら、3月31日、こんどは球場の魂ともいうべき銘板を、広島市はさっさと撤去したという。
市民球場の精神を受け継ぐ新球場の名前をネーミングライツというペテンビジネスでさっさと売り払った広島市は、こんどは返す刀で市民球場の首をはね命を奪った。
その無慈悲で無軌道な行政のシンボルとして、「広島市民球場」の銘板は路上に転がされ、さらし首にされたという。

被爆で灰燼となった街の復興のシンボルだった広島市民球場の後継球場は、平和公園から離れたヤード跡地へと移転させられた。
さらには、その魂である名前まで売買された。
本家市民球場は、あらぬ名前にされた揚げ句に、まるでわれわれの球音の記憶を消し去るがごとく、拙速に銘板をはがれた。
「ヒロシマの魂」が、ことごとく踏みにじられていく。

戦後60有余年をかけて先人たちが営々として築いて来た、かけがえのない財産遺産が、たったひとにぎりの行政の思い上がりによって、つぎつぎに失われようとしている。
広島の市制を、はやく市民の手にとりもどさないと、こんどこそ「ヒロシマ」は精神、魂の廃墟となってしまうだろう。

(以上)
by shiminwomamoru | 2010-09-15 17:15 | お笑い広島市
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