上告受理申立て理由書 (前半)
平成24年7月31日 最高裁判所御中
申立人 広島市中区舟入本町××××
土屋時子
相手方 広島市中区国泰寺町1丁目6番34号
広島市
同代表者・処分行政庁広島市長松井一實
平成24年(行ノ)第7号行政処分取消請求事件
上告受理申立ての理由
第1 原判決が、条例によらず規則によって市長が本件却下処分を行い、住民投票請求権を制限することができるとしたことは、地方自治法14条2項に違反することについて
1 地方自治法(以下「法」という。)14条2項は、「普通地方公共団体は、義務を課し、又は権利を制限するには、法令に特別の定めがある場合を除くほか、条例によらなければならない。」と規定している。広島市民が広島市住民投票条例(以下「本件条例」という。)5条に基づいて住民投票の請求をするためには、広島市住民投票条例施行規則(以下「本件規則」という。)12条1項に基づき、広島市長(以下「市長」という。)に対して「住民投票実施請求代表者証明書」(以下「代表者証明書」という。)の交付を申請しなければならないが、市長が当該投票の対象は本件条例2条にいう「市政運営上の重要事項」(以下「重要事項」という。)に当たらないとして代表者証明書の交付申請を却下すると、市民は投票の実施のために必要な署名収集を開始することができなくなり、結果的に住民投票の実施は不可能となるから、市長の却下行為は本件条例によって市民に付与された住民投票請求権を制限する行為にほかならない。よって、市長に却下権限があることは、法14条2項により、本件条例で規定しなければならないというべきである。
ところが、本件条例は、いつ、だれが重要事項該当性を判断するのかについて何も規定していないから、代表者証明書の交付申請時に、市長が重要事項該当性を判断し、交付申請を却下して住民投票の実施を拒否する権限があるということはできないはずである。そうすると、本件却下処分は、市長が条例によらないで公権力を行使し、住民の住民投票請求権を制限するものであって、法14条2項
に違反して違法であるから、取り消されるべきである(むしろ本件処分は条例上の根拠を欠いた無権限の処分であって無効と解されるが、申立人は出訴期間内に取消訴訟を提起したので、取消しを請求する。)。
なお、日本国の法体系では、条例は規則に優位するのであるから、条例によって広島市民に付与された住民投票請求権を、条例の根拠または条例による明確な委任(市長に住民投票請求を拒否する権限を付与するのであれば、少なくとも処分庁と処分権限は条例で明記すべきである。)なしに市長が制限できないことは、法14条2項の規定を待つまでもなく明らかである。
2 本件条例17条は、「この条例に定めるもののほか、住民投票に必要な事項は、規則で定める。」と規定し、これを受けて本件規則12条2項は、市長に本件条例2条が定める重要事項該当性の判断権を認め、同条3項は市長に代表者証明書の交付申請を却下する権限を付与している。
しかしながら、前記1でみたように、法14条2項は住民の権利を制限するには条例によらなければならないと規定しており、本件却下処分は権力的に市民の住民投票請求権を制限する行政処分なのだから、市長に却下処分をする権限があることは規則ではなく、条例で規定しなければならないというべきである。
仮に市長の権限の一部を規則に委任するとしても、市長に重要事項該当性の判断権及び代表者証明書交付申請の却下権限(申請が却下されると住民投票の実施は不可能となるから実質的には住民投票拒否権である。)があること自体は条例の本文で規定する必要があり、本件条例17条のような包括的な委任規定によって規則に処分権限を白紙委任することは許されないというべきである。これは財
務条例が課税庁や課税要件を特定せずに規則に課税権限を白紙委任することが許されないのと同じことである。
ちなみに、松本英明著「逐条地方自治法」(第6次改訂版)185頁は、法14条2項に違反しない事項(つまり規則で規定できる事項)の一例として、「法令や条例に規定されている規制に関する付随的事項又は実務の細目的事項に限定されたものであり、かつ、独自の規制を新たに創設するのではない事項」を挙げている。
本件規則12条3項が定める市長の却下権限は、実質的には住民投票拒否権にほかならないから、「法令や条例に規定されている規制に関する付随的事項又は実務の細目的事項」といえないことは明らかである。また、本件条例は、いつ、だれが重要事項該当性を判断するのかについて何も規定していない(つまり、署名時に、市民が重要事項該当性を判断するものと解される。)にもかかわらず、
本件規則12条2項及び3項は、署名収集前に、市長が重要事項該当性を判断する権限があり、さらに代表者証明書の交付申請を却下する権限(住民投票拒否権)があることを定めているのであるから、「独自の規制を新たに創設」しているというべきである。
よって本件規則12条は本件条例による委任の範囲を超えており、違法、無効であるから、本件却下処分も違法であり、取り消されるべきである。
3 念のため、市長に重要事項該当性の判断権及び代表者交付申請の却下権限を付与することは本件条例の性格をまったく変容させてしまう重大な事項であり、「法令や条例に規定されている規制に関する付随的事項又は実務の細目的事項」とはとうていいえないことを付言する。
本件条例はいわゆる常設型住民投票条例である。常設型住民投票条例とは、予め住民投票手続を定めておき、一定数の住民の署名が集まったときには投票の実施を義務づける条例をいう。全国初の常設型住民投票条例は、愛知県高浜市が2000年12月(翌年4月施行)に制定した「高浜市住民投票条例」である。「国民投票/住民投票情報室」のホームページ(http://www.ref-info.net)によると、2012年3月現在では42の地方公共団体(市町村)が常設型住民投票条例を制定している。
常設型住民投票条例が制定される背景には、住民投票の実施がきわめて困難であるという実情がある。常設型住民投票条例がない場合には、住民投票を実施するためには個別の案件ごとに住民投票条例を制定しなければならない。しかし、住民投票が求められるのは行政(首長)や議会の政策に住民が疑問を抱いている場合が通例であるから、首長や議会は自らの政策を否定されることを恐れ、住民
投票条例を発議したり制定することはほとんど期待できない。
実際に、1979年から2011年末までの間に各地の地方公共団体で住民投票条例が可決された件数は509件であり、否決された件数はこれを上回る595件である。しかも、可決された509件のうち435件は市町村合併に関するもの(以下「合併型」という。)であるから、市町村合併以外の争点に関するものは74件である。このうち46件は常設型住民投票条例が可決された事例なの
で、合併以外の地域の重要争点に関するもの(以下「重要争点型」という。)は28件だけである。
つまり、国策として進められた市町村合併に関する合併型の条例は52%が可決されているが(可決435:否決406)、それ以外の重要争点型の条例は13.6%しか可決されておらず、86.4%が否決されているのである(可決28:否決178)。この期間に実際に行われた住民投票の件数を見ても、合併型は467件であるのに対し、重要争点型は19件だけであり、「合併型:重要争
点型」の比率は96:4である(以上のデータは前出の「国民投票/住民投票情報室」のホームページによる。)。
また、2000年1月に徳島市で吉野川可動堰建設の賛否を問う住民投票が行われたが、法74条に基づく住民投票条例の制定を求める直接請求では実に有権者の48.8%(有権者数20万8194人、有効署名数10万1535人)が署名したにもかかわらず、徳島市長は住民投票は必要ないという意見を付し、市議会は有権者のほぼ半数が制定を求めた条例案を否決した。
このように合併以外の地域の重要争点について住民投票条例を制定し、投票を実施することは、首長や議会の壁に阻まれて非常に難しい。そこで、首長や議会による拒否権を認めず、一定数の署名が集まれば必ず投票を実施できるようにするために、常設型住民投票条例の制定が必要とされているのである。
ところが、本件条例のように、投票対象を市政運営上の重要事項に限るものとし(2条柱書)、さらに投票対象に除外事項を規定(2条各号)すると、いつ、だれがこれを判断するのかという問題が生じる。この点については、①首長や議会(あるいは第三者機関)が判断権を有するという制度と、②その判断は住民に委ねられており、住民が署名時に判断するという制度があり得る。
①の制度は、ある投票対象について、首長や議会が「重要事項に該当する」あるいは「除外事項に該当しない」として投票の実施(またはその前提となる署名収集)を許可した場合に限って投票が行われるのであるから、「許可型」の常設型住民投票条例ということができる。これに対して②の制度は、ある投票対象について、所定の署名数が集まればその対象は重要事項となり、必ず投票が実施さ
れるのであるから、「実施型」の常設型住民投票条例ということができる。
①の許可型は、実質的に首長や議会に住民投票実施の拒否権を認めることになり、しかも「拒否処分」に対して住民が訴訟を提起することによって(本件がまさにその初めての実例である。)、投票対象となるかどうかを裁判所に決めてもらわなければならないことになる。しかも、本件条例のように、「市の機関の権限に属しない事項」(2条1号)や「前各号に定めるもののほか、住民投票に付することが適当でないと明らかに認められる事項」のような包括的な除外事項を設けると、原子力発電所建設やダム(堰)建設など、これまで投票が行われてきた事項の多くについて投票の実施が拒否される可能性があり、常設型住民投票制度の意義を大きく損なうおそれがある。
②の実施型は、所定数の住民の署名が集まった場合には必ず投票を実施するという常設型住民投票条例の本来の目的に適合しており、ある事項が投票対象として適切であるかどうかを住民が自ら判断するのであるから、住民自治ないし住民参加の制度としてより適切である。そもそも条例に基づく住民投票制度は、投票結果に対する尊重義務が生じるだけであり、何らの法的拘束力が生じるものでは
ないから、所定数の署名が集まったのであれば(それが投票の対象としてふさわしくなければ、所定数の署名は集まらないであろう。)、本来どのような事項に対して住民投票を行っても問題はないはずである。原理的に考えてみても、住民が住民投票によって意思を明らかにしたいと望んでいるのに、投票を禁止しなければならない事項などは存在しないであろう。
実際にも、これまでに日本で住民投票の実施のために条例制定が求められた事例は1000件を超えているが(直接請求、首長提案及び議員提案のすべてを含む。)、これらの事例はすべて住民が地域の問題を真摯に考えた結果に基づくものであり、投票対象として不適切な事例は1件も存在しない。
また、署名の収集は住民の労力と費用によって行われるのであるから、実施型の条例によって署名収集が行われる機会が増加しても、それによって地方公共団体の経費が不当に増加することにはならない。
なお、申立人は、原判決がいうように(8~9頁)、すべての常設型住民投票条例が実施型でなければならないと主張しているわけではない。許可型の条例は首長や議会の拒否権を認めないという本来の常設型住民投票制度の趣旨に反するものではあるが、それでもあえて許可型の条例を制定するという地方公共団体はそうすればよいのである。しかし、条例本文が首長等の拒否権について何ら規定
せず、住民は実施型の条例が制定されたと認識していたにもかかわらず、規則が首長等に拒否権を与え、条例そのものを許可型に変容させるようなことは、住民の常設型住民投票制度に対する期待を裏切ることになりかねず、しかも条例によらないで住民投票請求権を制限することにほかならないから、法14条2項に違反すると主張しているのである。
常設型住民投票条例の歴史は浅く、許可型と実施型の区別があることは十分に認識されていない。相手方は本件条例が許可型であると主張し、原判決もこの主張を追認していることになるが、相手方及び原判決が両者の区別を十分認識しているかどうかは疑わしい。むしろ、許可型の条例は市長に拒否権を認め、住民投票請求権を制限することになることを十分に認識していないために、本件規則が
市長に重要事項該当性の判断権及び代表者証明書交付申請の却下権限を付与することを安易に容認しているのではないだろうか。
市長にこれらの権限を付与し、本件条例を許可型の条例とするためには、条例の本文で「市長は、住民投票の対象が2条に定める重要事項に該当するかどうか、及び同条各号に定める除外事項に該当するかどうかを判断する権限を有する。」こと、及び「市長は、住民投票の対象が2条に定める重要事項に該当しないと判断したとき、又は2条各号に定める除外事項に該当すると判断したときは、住民投票代表者証明書の交付申請を却下する。」ことを規定する必要がある。
4 原判決(10~11頁)は、前記1及び2の点につき、「確かに、本件条例において処分行政庁に却下処分をする権限があることが明記されているとはいえず、規則に委任する事項について逐一特定されているわけではないものの、被控訴人の住民投票制度が、本件条例によって創設されたものであることに鑑みれば、本件条例自体において処分行政庁に却下処分をする権限があることを明記すべき
であるとか、規則に委任する事項を特定すべきであるとまでいうことはできず、本件条例に定めるもののほか住民投票に関し必要な事項は規則で定めること(本件条例17条)が明記されているところであるから、本件条例ないし本件規則12条3項の規定について、違法、無効な白紙委任に当たると解することはできない。」と判示している。
原判決は、本件条例が市長の重要事項該当性の判断権及び代表者交付申請の却下権限について何も規定していないにもかかわらず、本件規則が市長にこれらの権限を付与していることが法14条2項に違反せず、本件処分は違法ではないとしているわけであるが、その理由については「被控訴人の住民投票制度が、本件条例によって創設されたものであることに鑑みれば」と述べるだけである。
なぜ、「被控訴人の住民投票制度が、本件条例によって創設されたものであることに鑑みれば」、市長は本件条例に明文の規定がないのに、本件規則に基づいて市民の住民投票請求権(ないしその前提となる代表者証明書交付申請権)を制限することができるのであろうか。むしろ、「被控訴人の住民投票制度が、本件条例によって創設されたものであることに鑑みれば」、本件条例が住民に付与し
た住民投票請求権を、本件条例によらないで本件規則に基づき、市長が制限できるとすることは、法14条2項に違反することになるはずである。
以上の次第で、原判決の理由はまったく不十分であって、原判決に理由不備の違法がある(よって原判決を破棄すべきことは、本件の上告理由書に記載した通りである。)ことは明らかである。そして、条例によらず、規則で市長の却下権限を定めることはできないから、市長のした本件却下処分は違法であり、取り消されるべきである(前述のように、むしろ本件処分は条例上の根拠を欠いた無権限の処分であって無効と解されるが、申立人は出訴期間内に取消訴訟を提起したので、取消しを請求する。)。これと異なる原判決は破棄されるべきである。
なお、市長に重要事項該当性判断権ないし住民投票拒否権があることは条例で規定すべきであり、規則で規定することはできないという問題は、地方自治法14条2項の解釈に関する重要な事項を含んでいる。よって、本件は民事訴訟法318条1項が定める事件に該当する。
5 前記3でみたように、住民投票条例の制定および住民投票の実施が首長や議会の反対によってきわめて困難であることに鑑み、常設型住民投票条例は住民の一定の署名が集まったときには必ず投票を実施するものとして、首長や議会の拒否権を認めないことを本来の目的としている。それにもかかわらず、実際の常設型住民投票条例には、住民の署名が集まれば投票を実施する「実施型」だけでは
なく、首長や議会が同意しなければ署名の収集や投票の実施ができない「許可型」が存在している。
本件条例のように条例自体は市長の拒否権について何ら規定していないにもかかわらず、規則に市長の拒否権が規定されているという制度の下では、市民は実施型の条例が制定されていたと考えていたのに、実際に住民投票の実施を請求しようとすると規則に基づいて市長に拒否されるという事態が生じることになり、市民の不信感を招くことになりかねない。規則によって実施型を許可型に変容さ
せるような制度は、地方自治法14条2項に違反して違法であるだけでなく、地方行政や住民参加制度に対する信頼を損なう可能性があるという観点からも許されないというべきである。
常設型住民投票条例が投票対象を制限すると、いつ、だれが投票対象の適格性を判断するのかという問題が生じる。そして、首長や議会に判断権を認めると、当該条例は実施型から許可型に変容してしまうわけである。最初の常設型住民投票条例である高浜市条例が投票対象を制限し、後に続く地方公共団体の多くがこの点を意識せずに高浜市条例の規定を踏襲しているため(本件条例2条も高浜市
条例の丸写しである。)、常設型住民投票条例を制定し、あるいは制定を予定している地方公共団体では、常に本件と同じ問題が生じ、住民の不信感を招くおそれがあるのである。
このような不信の拡大を防止するためにも、本件において本件規則及び本件処分の違法性を認定して他の地方公共団体の自覚を促す必要があり、その意味でも本件は法令(常設型住民投票条例)の解釈に関する重要な問題を含んでいる。
よって、本件は民事訴訟法318条1項の事件に該当するというべきである。